休日の過ごし方

疲れてくると、休日を作る。  

その日は、17時まで、極力なにもしない。  

具体的には、

 

* 仕事をしない

* 家事をしない

* 人に会わない

* 買い物をしない

* 食事を摂らない

* 活字を読まない

* 画面を見ない

 

くらいの縛りをする。  

できるだけ何もせず、一人でぼーっとしている。  

ものすごい量の考え事が頭を流れていく。  

やりたいこと、やらないといけないことが次々と浮かんでくる。  

でも、何もしない。何もしないことに罪悪感や焦燥感も持たないようにする。  

そうやってだいたい午前はずっとまどろんでいる。  

 

そのうち何となく体が動かせるようになり、散歩に出たりする。  

(何もしないようにしているのに、散歩はしてもいいのだ。いい加減なことだ。

でも日を浴びることは重要な気がする。 )  

そこでもいろんな考え事が頭を流れていく。そのうち家に帰る。  

 

そうやってずっと何もせずにいると、そのうち暇だという感覚が出てくる。  

これが回復の兆しだと思っている。  

 

やる気なんてものは本当はなく、手をつければやる気は出てくるのだなんて話があり、  

それは本当に正しいと思う。  

でも、それはそれとして、気力みたいのが実際にあって、  

それは何もしないことでしか回復しないと感じる。  

暇だ、という感覚が人を動かす気力になっている。  

やりたいこともやらないといけないことも沢山あるから、気づいたら暇だという感覚を失ってしまって、疲れきってしまうことがあって、  

そういうときは暇にならないといけないのだと思う。

 

17時が近づくにつれて、だんだんその時間が待ち遠しくなってくる。  

食事も摂らないからお腹も空いてくる。  

座禅を組んで、思考を止めて時間を待ったりする。  

こういう感覚になってくると、気力が回復している。

 

17時になったら、まずは食事を摂る。  

いきなりがっつり食べられないので、ヨーグルトとか、そういう固形でないもので胃を慣らしていく。  

その後は、やりたいことはたくさんあるのだけど、家事を進めていたら1日が終わったりする。

 

夜以外に予定を入れなければいいだけなので、週一くらいできそうな気がするのだけど、   

意外とできなくて月一くらいになっている。  

やりたいことに対して実際にやれることの量って意外なほど少なくて、  

効率的に効率的になどと考えてしまうけど、物事をやるための気力を養うことは大事にしたい。

スキルがなくなる恐怖

いま自分のアイデンティティというものが、スキルに立脚したものになっていて、
仕事や趣味のスキルを失ったとき、どうなってしまうんだろうという不安がある。

だから常に新しいことをし続けたいし、スキルを維持したいし、
それって周りからの理解は得にくいけど、続けたいし、周りにも話せるようにしたい。

だんだん、スキルに依存する部分はなくなっていくと予感していて、
今は転換期にあるようにも思うけど、まだ、スキルを失う恐怖心は消えない。
向上心と言えなくもない。大切にしたい。

ものをなくさない方法

存在しない。  

が、ある程度対策は打てる。

 

大事なのは、ものの流動性をなくすことだ。  

長年、どうすればイヤホンをなくさないのか悩んできたが、持ち運ばないという方法に気づいてだいぶなくさなくなった。  

つまり、会社と家に1つずつイヤホンを置いておくことにした。  

持ち運ぶという行為や、それに伴うカバンだのポケットだのへの移動がなくなる原因なのだ。  

机からの出し入れのみであればほぼなくさない。(たまになくす。)

 

プライベートでも仕事でも使うものがあれば、2つ買ってプライベートの鞄と会社の鞄に詰めておけばいい。  

ADHD者の生活の基本は、種類を少なく、スペアを多くだ。  

そういえば以前は出張用の鞄と通勤用の鞄を分けていて、その間の移動でものをなくしたり忘れたりしまくっていた。  

鞄1つならぎりぎり管理できるが、中身のこまごましたものまで管理するのは無理だ。  

シンプルにやるしかない。

 

炎上している

燃え上がった建物の中で、
窓から飛んだら大怪我するし、最悪死ぬけど、
飛ばないと焼け死ぬみたいな感じになっている。仕事。

しかし、プロジェクトの終盤ってだいたいこうなる気がするし、
今までが飛んでもまあ助かる高さだったってだけかもしれない。
そう思うと、だいたいこうなった後は、
なぜ火が出たのかとか、はしご車は呼べなかったのかみたいな話しになるけど、
建物の高さを飛んだら死ぬ高さにしないってのが大事なんじゃないか。実は。

いつも炎上している建物の中に突っ込んでいくファイアマン的な事をしてるけど、
自分が取り残される側になると景色が違う。
もう俺はいいから、延焼する前に江戸時代の火消しばりに
隣の建物壊した方がいいんじゃないの、なんて思ったり。

そういえば火消しって実際の緊急事態のなかで全体を見据えて、
建物壊そうって判断してたわけだからかっこいいし、
それが合理的なこととして許されてた江戸の社会ってすげえな、
となんとなくとりとめもなくなってきたのでここまでにする。

とりあえずサウナに入る

朝起きると、頭の中がぐちゃぐちゃっとしている。
最初は動くことができず、その後、同時にいくつものことを行おうとして、
わけがわからなくなる。

それらを整理して、順番に物事を進められる状態にしないといけないが、
整理するという行動すら、ぐちゃぐちゃっとした頭のなかに埋もれて、
実行することが難しい。

そんなとき、とりあえずサウナに行く。
サウナの中で少し瞑想して、水風呂に浸かる。
そうすると、頭がクリアになる。
自分の頭を自分でコントロールすることが少し出来るようになる。

水風呂に浸かったとき、初めて頭がクリアになるような気がする。
常に交感神経優位なのだと考えていたけど、そうでもないのかもしれない。
あのぐちゃぐちゃっとした状態はなんなのだろうか。

完了の動作をする

ADHD者の必須ツールとしてよく言われるリマインダーだが、
うまく使えていなかった。

指定の時間に通知が出るまではいいんだけど、
それを無視してしまう。
先延ばし傾向が強いのだと思う。

で、いままでGoogle keepでリマインドをやってたのだけど、
iosのリマインダにしてから少しましになった。
時間になったらその行動をして、完了のチェックを入れるというイメージがついた。

Google keepでなぜうまくいかなかったのかというと、
完了の動作がわかりにくかったからだと思う。
終わったらアーカイブとか削除とか、ちゃんと定義しておけばよかったのだけど。
リマインダはチェック入れるだけだからわかりやすい。

あと、バッジっていうUIが大嫌いで、
あれを消すためにチェックを入れないといけない、
そのために行動をしないといけない、
というのがモチベーションになっている。
バッジ、本当に嫌いで、
あれが出るかもしれないという理由で通知許可ほとんどしないのだけど、
役立つ時もあるのだな、と思う。

妥協してない(ことにする)

生活の中に一切妥協はなく、
全て確信を持って選択している、
と思い込むことにしてみた。

そのほうが幸せに過ごせる。
自己実現の形として、「妥協せずストイックに物事に取り組む自分」というものがあるのだと思う。
妥協していない自分に気持ちよくなれる。

だらだらするのも、妥協の結果でなく、
今最も必要なのは休息であるという確信のもと、
だらだらしていることにする。
そうすると、変な罪悪感を抱え込むこともなく、
純粋に休息することができる。

妥協しないなんてことは不可能なんだけど、
妥協していないと思い込むことはできる。
確信を持って選択したことになってしまうから、
本当に妥協しづらくなるという効果も感じている。
言い訳も出なくなる。

本当は、頭に思い浮かぶいろいろに振り回されて、ふらふら行動しているだけで、
妥協していないなんて思い込みは茶番だとわかっている。
それでも、明らかに気の持ちようが違う。
人生は思い込みで動いているということを実感するばかりだ。