メールの返し方

ADHD傾向が強いので、メールの運用の仕方にはかなり悩む。
目にした瞬間、全てが吹き飛んでそのことばかりになってしまう。
今、それを考える時ではないと思いつつも、頭の中にそれが残ってしまって、
やっていたことに集中できなくなってしまう。

最近は「割り込み不可能時間以外は即レス」というルールで運用しているが、
これはなかなかうまくいっている気がする。

まず、返し忘れが少なくなる。
即レスがルールなので、すぐ答えが出せなくても時間をくれと返せる。
これが結構効果があり、何か返すだけでなんとなく信頼感が得られてしまうし、
いつ返答しますと答えるとスケジュールに載ることになるので、
やり忘れも減る。

それ以上に重要なのは、割り込み不可のときは完全に無視して良いということだ。
割り込み不可の時間が終わったらどうせ即レスモードに入るから、そこで処理すれば良い。

かなりうまくいっているので、プライベートにも適用している。
ラインや電話が来たとき、割り込み可かどうかだけを考えて
即レスか割り込み可になるまで無視するか決めればいいだけなのでとても楽だ。
「連絡しても3日は返ってこない」の評判もだいぶ払拭された感がある。
しばらくはこのルールで運用を続ける。

人と関係なく社会で暮らすのは難しい

できれば、人に左右されることなく暮らしたい。
人に評価されるためとか、人から怒られないために何かをするのが嫌だ。

だけど、それは難しい。
社会で暮らすにはアイデンティティが必要だし、
社会的欲求を完全に捨てることも自分にはできないと気づく。

プログラムが書ける、とか、楽器が弾ける、とか、
事務仕事はミスばかりする、とか、ものをすぐなくす、とか、
そういう自分のアイデンティティを構成する要素は
全て人との比較によるものだ。
「息ができる」ことはアイデンティティにならない。

褒められると嬉しいし、怒られるのはつらい。
嫌な仕事でも、最後に「ありがとう」と言われると
「まあ別にいいか」となってしまうときに、
自分の社会性を捨てることは所詮できないと感じる。

完全に自分のために生きるには、
他人との関係性をほとんど遮断するしかないと感じていて、
そういう生活も一つの理想だとは思う。

昔考えた理想の生活は、
「普段は山に篭っていて誰とも会わず、
たまに街に下りていくとすごくちやほやされる」
っていうもので、今でもそれはとても理想的に思えるけど、
それを実現するために努力するほどのバイタリティも今は持っていない。

今の生活の中で、つらくない程度の落とし所を見つけていくしかないのかなと思う。

人情派の人との仕事

実利より感情優先、
結果より面子優先、
礼儀を重んじて、
変化を好まず予定調和を好むタイプの人がいる。

人情派の人と呼んでいるのだが、このタイプの人と仕事をするのがとても苦手だ。

とにかく、価値観が全くの逆なので、ふとしたことで逆鱗に触れてしまうし、
その逆鱗も理不尽にしか感じられない。
優先順位のつけ方も仕事の進め方も全く違うので、全然うまくいかない。

それでも、何人かこのタイプの人と仕事をして、少しはどうすればいいかわかった気がする。

効率とか問題解決とか、そういう概念は捨てていい。
人情派の人たちはそういうものではなく、快不快で動いている。
だから、例えば仕事を頼まれたら、とにかく優先的に手をつけて、なんでもいいから答えを出す。
動いてあげることが大事で、問題を解決する必要はない。
「私はあなたをないがしろにしていません」ということを伝えるのが重要で、
結果を出す必要はない。

ここがなかなか分からなかったんだけど、
本当に結果を出すことは求められていない。
ただ、ないがしろにされたと感じさせず、
気持ちよくしてあげれば良い。

一緒に仕事を進める上では、あんまり大事なことは任せなくていい。
今まで会ったこの手の人は、そもそもやりたがらないのでこれは簡単だった。
責任は不快を伴うものなので、そうなるのかもしれない。

そうやってうまくやれると、
こちらがピンチのときに全てを投げ出して助けに来てくれたりする。
これは本当にありがたいし、人情派の人だからこそできる行動だと思う。

とはいえ、やはり苦手だ。
こうやって文章にしてみても嫌悪感がにじみ出てしまう。
今の職場は人情派の人が評価されにくいシステムになっていて、
この手の人はあまり多くないが、
世の中のスタンダードはむしろ人情派なんじゃないか、と思わなくもない。
ふと、この価値観が支配する場に入ってしまったら
どうなってしまうのだろう、と不安になることがある。

添付ファイルのパスワード

最近、よくメールのやり取りをする相手が、
添付ファイルにパスワードを自動でつけて、
自動で後からそのパスワードを送ってくる系の仕組みを使っている。

この仕組み、かなり最悪と思っていて、
添付ファイルのパスワードに意味があるとすれば、
添付ファイルを送った後、パスワードを送る間に送り間違いに気づけるということだ。
勝手に送られてしまったらそのメリットさえなくなってしまう。
(この手の仕組み使ったことないので、
何か気付かせるような1ステップがあるのかもしれない。
そうだったらすいませんと言うしかない。)

かといって、手動でパスワード送れば大丈夫とも思えず、
だいたいは送り間違いに気づかずそのままパスワード送ってしまうだろう。

現実的には、プロジェクト内でパスワード決めておいて、
みんなそれで送る、通知とかは特にしないっていう運用かなと思う。

ネットで見ると、パスワードは電話で通知ってよく書いてあって、
現実にそのパターンに当たったことはないのだけど、
たぶん厳しいだろうなと思う。
パスワード忘れたら電話で聞き直すの?ってなるし、
メーリスに送ったら全員に電話するの?ってなる。

だいたい添付ファイルのパスワードなんて本気でセキュリティ的に考えたらダメに決まっていて、
電話に出るとき思ってなくても「お電話ありがとうございます」と言うような、
ビジネスマナー的側面が大きいのだと思っている。

とはいえ、実際メールを送り間違えることはあるし、
間違いメールを受け取った人がブルートフォースで本気でこじあけてくるってことはそんなにないだろう。
(俺はたぶんやる。)

メールはやっぱり使いたいし、本気でセキュリティ考えるでもなく、
かといって意義を崩壊させる謎システム入れるでもなく、
ちょうどいい落とし所を考えて、落ち着ければ良いと思う。

とりあえずゾーン

部屋の隅にとりあえずゾーンを作った。
置き場所が決まらないものはとりあえずそこに投げ込んでおく。
余裕のあるときに、そこに溜まったものを整理する。
捨てるなり、適切な場所に配置するなり。

これはたぶんあまりいい方法ではない。

まず、とりあえずゾーンに投げ込むことができるのか?という問題がある。
とりあえずゾーンに投げ込む余裕があるなら、
適切な場所に置けばいいのでは、という気もする。

そして、とりあえずゾーンが無限に広がり破綻するという懸念がある。
ある程度の大きさになった時点でとりあえずゾーンの整理を諦め、
部屋全体がとりあえずゾーンになるのではないか。

そう言いつつも、今のところはとりあえずゾーンの恩恵を感じている。
散らばったものをとにかく投げ込む、
買ってきたものをとりあえず投げ込む、
それだけで、とりあえずゾーン以外が汚染されなくなって、
なんとなく部屋が片付いているような気になる。
今のところは、週末のとりあえずゾーン片付けも破綻していない。

思えばこれまでも、部屋のいたるところや、カバンの中にとりあえずゾーンが散在していた。
それを一点に集約できただけで大きな前進なのかもしれない。

何もしない日を作る

月に一日くらい、何もしない日を作るようにしている。
何もしないと言っても、本当に何もしないなんてことは不可能なのだが、
生産的なことを何もしないようにする。

仕事をしない。遊びに行かない。掃除・炊事・洗濯をしない。
何もしないことに対して罪悪感を持たない。

何もしない日は、とても穏やかな一日になる。
何もしないことで、次の日から何かできるようになる。

iOSにおやすみモードという素晴らしい機能があって、
これをONにすると通知が来なくなる。
何もしない日は9時から18時までONにしている。

18時までっていうのは理由があって、
何もしない日を作るための調整ってものすごく難しい。
その日、何もしなくていいように、
仕事やプライベートのもろもろを、一応の決着をつけておかないといけない。
で、そのために前日徹夜するみたいなことになるととても不毛なので、
18時以降は多少生産的なことをしても良いということにしている。
だから、通知に反応するくらいはしても良い。
あと、「ごめん、見逃した」で怒られないラインがこれぐらいと思う。

この、「何もしない日を作る」というやり方を勧めてくれた人は、
週一日か、二週に一日くらいの頻度で作るといいよ、と言っていたのだけど、
調整が難しくて、月に一日くらいしか作れる気がしない。

ただ、「あの日何もしないために調整をしよう」と考えることや、
何もしない日の次の日からのやる気はとても意味があって、
できるならもう少し頻度を増やせるようにしたい。

相対的にしか考えられない

相対的にしか物事を認識できない。
人間の頭ってそうなっていると思う。

食べるものがない、みたいな死に直結する状況は絶対的な不幸と言えるかもしれないけど、
食べるものも寝るところもあるから幸せです、と思えるかというと、必ずしもそうではない。
でも、食べるものがなくて死にかけた人からすれば、
食べ物の心配をしなくていい、ということを幸せに感じたりもする。

底の経験がどんなものかというのが大切で、
それと現在との比較で幸福感を決める部分はあるし、
「苦労しろ」という人の言いたいことはそういうことだろう。(そうじゃない人もいそうだけど。)

幸福感みたいなものだけでなく、どんなものでも、
他のものとの比較というものさしがなければ理解は難しい。
例えば自分は水泳に全く興味が無いので、
「50メートル背泳ぎを24秒」という人がいたとして、すごいかどうかわからない。
世界記録なんだけど。
「世界一速いです」とか、そういう周りとの比較を示してくれないと、理解ができない。