計画する

未来の自分の動きを予想することである。
未来の自分の動きを策定することではない。

その場の衝動で何をしだすかわからない自分の動きを、事前に予想しておく。
それによって、未来に起こる問題を事前に察知する。
経験が少し先の未来を教えてくれる。
計画とは小さな魔法だ。

未来の自分の動きを策定することではない。
ものごとをいつ完了させられるか聞かれたとき、
今すぐ取り掛かり、途中で誰の邪魔も入らず、何にも気を取られず、
ものごとを進めたときの時間を考えてしまう。
それは計画ではない。
願望である。
予想すれば、そんなことはあり得ないとすぐにわかる。

無数の「どうせこうなるだろう」から一番マシなものを選び取る。
いや、それすらも傲慢かもしれない。
選び取るという行為が計画を願望に変えてしまうかもしれない。
ただ、「どうせこうなるだろう」とぼんやり考えておけば、
我々の無意識がその中から一番マシなものを選び取るに違いない。
それが計画するということだ。

ADHDの我々に自分の行動を策定することなどできない。
そもそも我々が策定しようとする、計画のつもりの願望は、往々にして狂っている。
とても実現不可能なそれを、実現できなかったといって落ち込む。
そして何より、我々は策定した通りに動けない自分自身に慣れてしまっている。
本当の意味で反省して、次に生かすことなどできない。

そうではない。
計画とは、未来の自分の動きを予想することである。
未来の自分の動きを策定することではない。