邪悪になるなかれ

発達障害者から見える定型発達者はとても邪悪な存在だ。
インターネットで発達障害者の言葉を見ると、
誰もがそう思うようだ。 これは不思議な事だ。

社会に適応するにあたり、
邪悪さを身に着けたほうがいいのではないか、
と思うことは多々あるけれども、
大体うまくいかない。

感じるのは、邪悪だとみなされることは不便だということだ。
邪悪な人間だと思われると損をすることが多い。
我々はただでさえ多くのミスを許してもらわなければ生きられない。
邪悪である、という印象を持たれることは致命的だ。

邪悪であると思われないための最もシンプルな方法は、
やはり、邪悪にならないことである。
定型発達者たちの中では、邪悪であっても許し合えるルールが有るようだ。
しかし、我々は所詮それを真似出来ない。
あれが許されるならこれも、などと考えると、必ず間違える。
あそこには、何か深遠かつ壮大なルールが定められているのだ。
我々はそれを理解することができない。

Don't be evil.
やはりグーグル先生はいいことを言う。